信州には海がないため塩を生産することができず、かつては日本海から塩売りがやってきていました。各地を回って売り歩いていると、ちょうどこの近辺で品切れになるため、塩尻という名前がついたと言われています。

また、日本海側と太平洋側からそれぞれ塩が運ばれてくると、この辺りで両者が合流することから塩の道の終点=塩尻という説もあります。この説に沿う地名として小県郡塩尻村(現:上田市)があります。

塩尻市の見解は、定説はないとしつつも上杉氏が武田氏に塩を送った義塩伝説、食塩を由来とする説、地質・地形からなる説の三つを挙げています。
かつては塩の旧字である鹽を用いて、「鹽尻(しおじり)」とされました。
江戸時代は塩尻宿や洗馬宿などが中山道や北国西街道の宿場町として栄え、明治時代は塩尻宿から約2km西方線が交わる交通の要衝でした。