寛政年間創業以来200年以上にわたって続いてきた、老舗「ゑちごや旅館」さん。今回は、そのゑちごや旅館さんで、旅館にまつわるお話や歴史についてお話を聞かせていただきました。

– 代々伝わるものを継承していく

奈良井には全部で8件の民宿がありますが、江戸時代から、民宿をやっているのはうちだけで、他の皆さんは昭和40~50年代の民宿ブームからはじめられて、そこから残っているところが多いです。戦前、戦中、戦後、の間は宿というとうちしかなかったので、先祖が残してくれたんで、今に至ってるということですかね。代々伝わるものを継承して、また私が残していく。特別なこだわりとかそういうものはないですね。


箱階段、家の間口がないので、ちょっとしたスペースを利用した収納です、先人の知恵ですね。
DSC_0587_R

これは明治の初期にきたもので、当時の主人が風呂敷鼓で担いできたとき、奈良井じゅうの人が見に来た時計です。
以来、ずっと動き続けています。
DSC_0588_R

うちは、奈良井の典型的な作り方、京都の町屋と同じ作りです。今生活するには大変不便な作りです。奈良井は民家が多いですけれども家の中は皆さん現代風に直されていますが、うちなんか建物が古いんでね障子とかそういったところは空いていて、家がかしんでるんでね、真っ直ぐではないんですが、江戸時代からのたたずまいでやっているっていうのが売りですからね、なんでもかんでも近代風にやっちゃうことは簡単なんでしょうけど、当時からの文化財としての価値があるので。

DSC_0592_R

– 奈良井大火を逃れた建物

天保という時代ですね、奈良井大火というものがあったそうですが、郵便局の横の駐車場になってる辺りに、奈良井の本陣があって、そこが火元だといわれているんですけれども、奈良井はずっと家が続いているものですから、そこからずっと火が回ってほとんどの家を燃やし尽くしたときいています。本陣というもは、それぞれの宿場に本陣という建物があったんですけれども、大名とか偉い方が、東海道、中仙道、を通っていったら、宿泊する場所と、そいうところが本陣という建物です。江戸時代からのものがうちには残っていますから、その奈良井大火の被害からも逃れ、今に至るということですね。

– 木曽漆器職人のルーツは奈良井宿に

DSC_0603_R

220年前に旅籠っていって、旅館を始めたんですが、それより前から先祖は、この奈良井に住んでいました。
この辺でいうと百草が有名ですけれども、戦前までは副業で、薬の製造販売、をして当時旅人に持たせたり、東京や中京方面にも卸していたみたいです。

隣、平沢で木曽漆器のお店立ち並んでいますが、盛んですが、もともとは漆器の職人さんたちの出は奈良井なんです。平沢って、土地が漆の木がたくさんあったようですし、漆器を作るのに適した場所だったんで、そこに町ができた、昔は平沢って町はなかったそうなんですね、ただの川原だったんですが、そこが開発されて、漆器の町、平沢にになった、江戸のころは奈良井の中の一つの集落だったそうです。うちは、越後屋の分家になるんですが、越後屋の本家から平沢に多くの漆器職人が出て行ったそうです。

– 海外から観光客

昭和二十年代、文豪の人が長期滞在したり、今は、海外から個人のお客さんも相当多いですよ。海外に情報発信しているわけでもないんですが、どうやって調べてうちを探してくるのか聞きたいくらいですけれどね。英会話じゃないですが、片言の英語で無理やり対応していますけどね。


– 奈良井の魅力・好きなところ

うちには、小さい子供がいますが、そういう地域の子供たちを、奈良井の心通わす知った人同士、地域住民が自分の子供ではなくても、みんなで見守っていてくれるということが、好きですね。過疎化とはいえ、余計にそういった人とのつながり、そんな中で生活している、というところが好きですし、観光地という部分もあるけど、奈良井でお店をもって商売している人より、民家で普通に生活している方が多い、妻籠、馬籠やそういうところに比べれば、奈良井には良い意味での生活感があるんだと思います。

DSC_0594_R