今日は塩尻にある、不思議な松のお話をしようと思います。

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塩尻一里塚


塩尻の宗賀地区にある松の木。ここいらでは一本松なんて呼ばれて親しまれています。
一本松ってんだから、一本なんだろうなと思って今日見に行ったんですけど、なんか、2本ありました。
あれ?全然一本松じゃないじゃん!

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設置されている看板に何が書いてあるのかちゃんと読んでみようと思ったので下記に抜粋してみます。

市史跡 平出一里塚


現在地 塩尻市大字宗賀(おおあざそうが)122-2
指 定 昭和46年3月5日(1971年)

一里塚は、慶長9年(1604年)に江戸幕府の命により各街道に築かれはじめ、同12年にほぼ完成をみた。
三十六町を一里として、一里ごとに道の両側に一里塚を築かせ、塚の頂上に松や榎などを植えて道程標とし、旅情を慰め通行の便宜をはかった。-・・・

江戸幕府(現東京)から伸びた道。36個の町を一里と計算し、その都度目印として松を植えていたらしい。
江戸時代なんて、炎天下の中東京から塩尻まで徒歩で移動しているとそれはそれは暑いことでしょうね。
この松は、目印としても、旅人の休憩場所としても重宝されたのです。

塚のは五間四方。高さ一丈(2,3m)と定められた。
慶長19(1614年)に、中山道は牛道峠経由から塩尻峠経由に変更され、この平出一里塚もその頃につくられたものと推定される。
江戸時代、塩尻市内の中山道には、東山・柿沢・平出・牧野・日出塩・若神子・押込・橋戸・鳥居峠の九ヵ所に一里塚が築かれていたが、明治以降はその必要もなく次々に消滅し、現在はここ平出と東山・若神子が残り、両塚を残すのはこの平出のみとなってしまった。
この一里塚は、日本橋の基点より59番目のもので、宝暦6年(1756年)頃には、この付近に茶屋2軒のあることがわかっている。

そもそも、一里塚には2本の松の木や榎が植えられるのが正しいらしいです。
そして、塩尻市内で2本の松が残っているのはこの平出だけなんだと。へえ~。

ただの松だと思って甘く見てましたけども、重要な歴史を知る木だったんですね。

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