今日は、塩尻の昔話のハナシをしたいと思います。

毎年、8月になると長野県塩尻市では『玄蕃祭り』という名前のお祭りが開催されます。
玄蕃祭りでは、塩尻にある商店街、銀座通りを完全歩行者天国にして、多くの人々がに扮して踊ります。
・・・なぜ狐?

ところで、玄蕃祭りってそもそも何なんだろうと考えたとき、塩尻に古くからある昔話を思い出します。

桔梗ヶ原ききょうがはらのげんばのじょう狐



こちらの本は、信州・読み聞かせ民話絵本シリーズの3巻目。文を、塩尻出身のはま みつをさんが執筆しています。塩尻出身の方はこの本を小中学校の図書館で見かけたことがあるかと思います。
綺麗な切り絵で表現された狐が絵本すべてのページに登場します。

話の内容は、昔から塩尻に伝わる内容なのでざっくりとご紹介いたします。

むかし―。桔梗ヶ原にすんでいたげんばのじょうは、そりゃあ、たいした狐じゃった。


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昔々『げんばのじょう』という、人々をだまして楽しんでいるいたずら狐がいました。
しかもこのげんばのじょうは、子牛ほどある体の大きさもさることながら、だましの腕も一級品でした。
雨も降っていないのに人々に傘をささせたり、馬のフンをぼたもちだと思わせて食べさせたり、畑を池と思わせて溺れさせたり・・・
げんばのじょうは、この辺りの狐の中でも最強のリーダーでした。

げんばのじょうがちょっと大がかりないたずらをしようと誘えば、ほうぼうの偉い狐たちもやってきて一緒に人間をだまして楽しんでいました。

しかし、時の流れには誰も勝てなかった。


ここで舞台が、江戸から明治時代へと変わっていきます。げんばのじょうも時代がどんどんと変わっていく中に居ました。

ちょんまげが ざんぎり頭に、
あんどんが 西洋ランプに、
かごのかわりに 人力車、
着物のかわりに ようふくにと、
世のなか ぜんたい 文明開化とやらで、
これには、 いかな げんばのじょうでも、 ついていきようが なかった。

げんばのじょうは、時代の流れにどうにもついて行けなくなっていました。そして、げんばのじょうも年を取ります。老いたげんばのじょうは、狐たちの中のリーダーであった地位を退くことを決心しました。
しかし気がかりが一つだけ残っていました。それは、桔梗ヶ原をつっぱしる黒く大きなバケモノの存在でした。ここら一帯を仕切るげんばのじょうにも挨拶もせず、無言で煙を吐き出し、そして仲間の狐を何匹もひき殺していたのです。

ご察しのとおり、挿絵を見てもちゃんと描かれていますが、つまりそのバケモノは汽車のことでした。いくら人間をだまして楽しんでいたげんばのじょうも、汽車が何かまではわからなかったのです。

げんばのじょうは手下と共に、引退前の最後の勝負に出ます。まるで同じような汽車に化け、レールの上を走りだしました。
反対側からは、何も知らずに進む汽車の姿。一騎打ちです。
機関士は突然目の前に現れたもう一つの汽車の存在に大慌て。汽笛を鳴らし急ブレーキをかけます。そして二つの汽車は正面衝突をしてしまいました。

勝ったのは


機関士がおそるおそる目を開けると、しかし何も起こっていません。はて、夢だったのか・・・。汽車は何事もなかったように、じきに見えなくなりました。
汽車がさったあとを見ると、無数の狐たちの死体がちらばっていました。狐たちは、文明に勝てなかったのです。

そんなかわいそうな狐たちを殿様が哀れみ、今でも狐をいたむ気持ちが残っているのだそうです。

ここまでが塩尻に伝わる『げんばのじょう狐』のお話でした。


げんばのじょう伝説と言われていますが、どうも狐を祀るお祭りというのが日本でも少数らしいのです。塩尻に住んでいる人は大抵この話を知っていますが、実は由来や、なぜ玄蕃祭りが存在するかなどがまだまだ調べ切れていません。げんばのじょう狐から、もっと塩尻に触れてみたいと思いました。なんとも不思議な昔話でした。