古田 晁(ふるた あきら、1906年1月13日 – 1973年10月30日)は、日本の出版人、筑摩書房の創業者、初代社長。

長野県東筑摩郡筑摩地村(現・塩尻市)に古田三四郎の長男として生まれる。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校(現・信州大学)文科甲類を経て東京帝国大学文学部倫理学科卒業。旧制中学の同級生には臼井吉見、松本克平、旧制高校の同級生には宝月圭吾がいた。

その後渡米して父の経営するロサンゼルスヴェニスの日光商会に勤務し、1938年帰国。1940年に臼井、唐木順三、中村光夫を編集顧問として筑摩書房を創業し、まず最初に『中野重治随筆集』を出版する。

戦後の1946年に『展望』を創刊、株式会社組織として初代社長となる。1966年会長に就任。1973年に急逝した。1996年に故郷の生家に塩尻市立古田晁記念館が開館した。『古田晁記念館資料集』(晒名昇編、2003年)が出されている。

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古田晁記念館